私の父、熊と戦った話

 熊とたたかった話、厚田村史より

  現在でも、発足の山奥には熊が出没するが、かっては、胆振からアイヌが発足
の山に熊獲りに来るほど熊が数多く生息していたという。
  発足にも熊獲り名人が沢山いて、明治37年、発足生れの桂井栄助さんもそ
の一人である。
  昭和44年発行の厚田村史に熊獲り名人の桂井さんが熊と戦った話が載って
いるので紹介する。(発足小学校教師が記載)

  「昭和9年、長男が4つの春、8尺もある大熊を一頭とってきて、家に張ってお
いたが、それから4,5日後、また、獲とりに行ってやられた。
  小松さんと2人で。場所は大沢だ。
  (大沢は安瀬の部落から約2キロ北にある沢で、川口から約4キロさかのぽっ
た所に高さ654mの安瀬山がある。その裏表が安瀬の沢と発足の左股の沢で、
その分水嶺を安瀬越え、発足越えといった。)
  大沢と背中合わせのカッツ(端)に穴(巣)を持っていた。子っこ連れて遊んで
いた。雪の割れ目から出て遊んでいたんだね。
  その姿を遠くから見たんだが、いつの間にか見失ってしまった。2人で相当(1
時間くらい)そこらへんかました(捜した)んだが、何処さ行ったかわからなかっ
た。仕方がないから、昼食たぺて1時間くらい休んだ。
  そしたら発足ずきの安瀬の沢からつね(嶺)さのって大沢の方へ越えて行くと
ころであった。距離は4、50間しかはなれていなかった。
  鉄砲は手にしていたが、マキリ(刃渡り16、7cmの短刀)などじゃまになるか
らリックに入れて背負っていた。
  腰に下げていればよかったのに、そしたら血管切るにいかったのに。
  熊の首に片手でギリッと巻かさったら、熊の手というものは人間の肩を越えて
くるからね。
  そうなったらいくら熊が転がってあるいても、人間は絶対に離れない。
 長い毛にしっかり、たもずがって(つかまって)いるからね。怪我もしないもんだ
からね。片々(片方)の手で、マキリで血管切ったら終りだからね。
  のどの動脈のところ、ドッとね。マキリの柄まで入るくらい差し込んでね、こね
れば血管切れるんだ。
  豚殺すとひっとつ(同じ)だからね。それができなかったのさね。何も金物(切
れ物)持っていなかったから。
  鉄砲はね、最初ね、下から上ってきた時にね、3間ぐらいそばに来るまで打た
れなかった。地面をはうように頭を下げて来るから打ちづらいもんだ。自分は丁
度、安瀬ずきの岩陰にいて待っていた。
  子が二つついていた。子が歩かねかったから親怒っていたとこさ。人間の気配
に気づいたもんだから、向って来たわけさ。15間くらいから、こっちに向って上っ
てきたんだよ。3間(5.4m)近くに来るまで打たれなかった。
  そしてちょっとした拍子に、熊の体ががわって、少し斜になったもんだから、こ
の時とばかり、アバラの3枚目(肪骨)目がけて打った。
  そしたらこういうふうに毛が開いた。(合わせた両手の指先を開いて見せた)肉
が見えるようにね。いいとこさ入ったなと思ったら、向い直して来たね。
  それがね、弾入っていなかったやつ打ってしまったんだ。古いケースなら火薬
止め入れて、弾入れて、厚紙入れて、弾止めするんだ。それが新しいケースなも
んだら。
  いつも端のやつ出しては入れ、出しては入れしていたもんだから、いつ落ちる
とはなく、抜けてあったもんだね。火薬だけで毛開いたもんだ。夜でも3間ぐらい
ならやはり火がとぶからね。 火薬だけでもね。火薬の火で毛開いてしまったん
だ。
  手早く代りつめて、つっかけ(続けて)向って来たから、出すといっしょ(同時)
に、バーンと鉄砲たたかれてしまったね。
  自分の膝株さ熊の肩つけてしまったからね。素早くだきついた。
  わしが上手から、熊が下手から。それが全然人間を押して来る力がないんだ
ものね。立ち木と同じさ。堅くなってしまって、馬鹿になってしまったんだね(失神
状態)。柏子抜けしてしまったもんだね、熊もなんも。熊はただ人間の目さねらっ
て来るんだもんね。
 もしかしたら、ころばされたら打つ気になって熊にだきつきながら弾をこめようと
思って、体を少し斜にしたが、腰にまわした手を前に持ってこえない。(こられな
い)少しでも熊の体からはなれたら、たたかれる、かっちゃかれる、かみつかれ
る。だから自分の頭も顔もびったり熊の首のあたりに埋めて、特に顔だけは大事
に噛じられないように注意していた。
 でもこの格闘で、左肩から腕・腿まで噛じられ、こんなに腫れて来た。何回も立
木にぶつかったからさ。この時の傷26ヵ所。
 どうした柏子にか、熊は1間半ぐらいバーンと横っとびに飛んで行った。
 したから打つかなと鉄砲に手をかけたんだよ、そしたら岩の崖下にとんぽうっ
てまくれていった。(とんぽかえりして、ころげおちていった)俺もころんでさ。
 相捧を呼ばったんだ。そしたら来た。気悪くするかと思って教えなかった。
 血の流れるのがわかるんだ。この辺かけて(脇腹)シャーシャーと流れるのが
わかるんだ。その時、特長(腰までくるゴム長靴)はいていたからね。
 特長はすっかり噛じられちゃったし、やぶけちゃったしね、靴の底には血がうす
ら(約)5合も入っていた。しっこく(つめたく)なって、さきの熊はと見れば仲間の
方に行っていた。
 子っこだけでも取っていくか、といって、相俸はつね(嶺)の方でとった。
 わしはぴっこ引き引き追って行って、鉄砲でこういうふうにおさえて(棒でおさえ
るように)首つかまえてとった。相棒に二匹しょわせて帰ってきた。帰りは3時問
かかった。
さっと(少し)斜になって歩いて来た。家に着いたら、舌は縮んで奥の方に入って
いくようであった。
 熟で水のんだら悪いと言うんだがね、あの時は一息に5合ぐらい呑んだね。そ
したら大した楽になった。 薬といえば何にも無かったし、メンソレタムみたいなも
のを塗って油紙を張っておいた。
 張ったのはいいたって、今度は全然、身動きできなくなったものね。
 正体(身体)半分というものは、腫れてしまって真赤になったんだからね。
 なずき(額)からず−っと、これからこれかけて、半身、体と体、はなれてしまっ
たもんだ。
 1週間身動きできなかったもね。それでも1、2日たったら、どうかこうか歩くに
よくなってね、また大沢に遊ぴに行って来たよ。
 あの熊、とらねばねってね(ねぱならない)。
 それから7、8年の間に4、5頭とった。最近はいなくなったので取れね。(とれ
ない)毎年、春になると山廻りしてみるんだが、今年は入ったようだ。 1頭でね
(ない)らしい。2、3頭入っているようだ。」

 [桂井栄助さんの奥さんの話。]
 「今まで山に行ったら必ず獲ってくるもんだから、簡単に獲れるもんだと思って
いた。
あの時の姿を思うと、よくまあ、助かって帰って来たもんだと寒くなった。
 わしらなんぽ止めれと言っても、止めねもんだもの、仕方ねんだ。この年になっ
て(このお話をされたのは,桂井さんが67歳の時)、未だこうしてカんでいるんだ
よ。山歩きは、もう止めた方いいって言ってるの。」